The Doshisha Times 夏号「聖句」
[旧約聖書 詩篇9-20,21]
立ち上がってください 主よ
人間が思い上がるのを許さず
御顔を向けて異邦の民を裁いてください
主よ 異邦の民を恐れさせ
思い知らせてください
彼らが人間にすぎないことを
う~む...唐突にそう言われても...何のことだろう。何を意図した聖句なのだろう。浄土真宗徒の私には意味不明としか言いようがありません。
でも、ネットで色々調べてみると、詩篇9編と10編は元々一つの詩で、いわゆる「いろは歌」で、各行の冒頭の言葉がヘブライ語のアルファベット順に配置され、それが10編にも続いていくのだそうです。
そして、東京都江戸川区にあるらしい「篠崎キリスト教会」のホームページによれば、
「出エジプト以来、主なる神はイスラエルを導き、異邦人から守って下さり、その結果、自分たちが今ここにいることへの感謝を詩人は歌」い、「祈り手はどのような不条理の中でも、主は貧しい者、虐げられている者を救われると確信」しているのだと。
また、「イスラエルの歴史は、大国の攻撃と抑圧に翻弄されてきた。預言書や歴史書は、諸大国の軍事攻勢に、罪を犯したイスラエルの民に対する神の審判を読み取ってきた。預言者たちは、正義を踏みにじり、社会的弱者を虐げるイスラエルの指導層や富裕層に向かって、剣と飢饉と疫病の災いを預言してきた。」
そして、「そこから発するうめきは、自分たちを苦しめた敵の滅びだ。自分が罪を犯したことはわかっていても敵を恨まざるを得ない。」「だから、詩編9編に、敵を呪い、敵の滅びを願う気持ちが満ち溢れていても当然だ。人間は敵を愛せない存在だ。」「戦争や飢饉で最初に痛みつけられるのは、常に社会的弱者である。だから詩人は弱者の救いを祈る」のだと言っています。(篠崎キリスト教会ホームページ抜粋)
ここまで見て、ふと、腑に落ちました。この詩篇9の最後の2節は、ロシアによるウクライナ侵攻を想起させます。ウクライナの民は社会的弱者です。これまで罪を犯してきた民とは国際社会なのではないのか。核による抑止を謳いながら、気が付けば核による脅しに慄いている。何の罪もないのに理不尽に蹂躙されるウクライナの国土、虐殺されていくウクライナの人々。神は必ずプーチンに怒りの鉄槌を下すはず...『主よ。立ち上がり、プーチンが思い上がるのを許さず、その御顔をプーチンに向け裁いてください。』と祈っているのでしょうか。
そして、詩人は歌うのだ。
詩篇 9篇
指揮者のために。「ムテ・ラベン」の調べに合わせて。ダビデの賛歌
1 私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
2 私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。
3 私の敵は退くとき、つまずき、あなたの前で、ついえ去ります。
4 あなたが私の正しい訴えを支持し、義の審判者として王座に着かれるからです。
5 あなたは国々をお叱りになり、悪者を滅ぼし、彼らの名を、とこしえに、消し去りました。
6 敵は、絶え果てて永遠の廃墟。あなたが根こちにされた町々、その記憶さえ、消えうせました。
7 しかし、主はとこしえに御座に着き、さばきのためにご自身の王座を堅く立てられた。
8 主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。
9 主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。
10 御名を知る者は、あなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。
11 主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。
12 血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。
13 主よ。私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の悩みを見てください。主は死の門から私を引き上げてくださる。
14 私は、あなたのすべての誉れを語り告げるために、シオンの娘の門で、あなたの救いに歓声をあげましょう。
15 国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。
16 主はご自身を知らせ、さばきを行われた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった。ヒガヨン セラ
17 悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。
18 貧しい者は決して忘れられない。悩む者の望みは、いつまでもなくならない。
19 主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。国々が御前で、さばかれるために。
20 主よ。彼らに恐れを起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください。セラ
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文責:HP担当 藤原
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